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堀 治喜「酔頓楼からの遠吠え3」

広島市民球場跡地にかけられた“呪い”

サッカースタジアムの建設問題と広島市民球場跡地をどう活用するかという問題とは、それぞれ独立した問題としてスタートした。
しかし、このふたつはもともと別枠で議論できるものではなかった。

跡地問題を議論すれば「サッカースタジアム建設」がもっとも民意を反映した提案となるし、
サッカースタジアム建設問題は何度かの紆余曲折を経ながらも、候補地としては常に「広島市民球場跡地」が視野にあった。

つまり、このふたつの問題はもともと同じフィールドで語られるべきものだったのだ。
それが異次元の問題として扱われつづけたことには作為的なものを感じざるをえない。

2005年11月から広島市は、広島市民球場の今後の利用について広く市民から提案の募集をはじめた。
その結果、ひと月あまりで市民や団体から400近く、業者から30ちかくの提案が寄せられた。
そのなかでも、サッカースタジアム建設を中心とする提案がもっとも多く市民の支持を集めていた。

したがって、そのままの流れで跡地にサッカースタジアム建設というプランを具体的に議論していけば、これほど事態が混迷することはなかっただろうし、不要なバスまわしをするような時間の無駄もなかった。

なぜあのとき、サッカースタジアムへと流れ出した民意が迂回させられ、せき止められることになったのか?

当時は状況証拠はそれほどなかったから、多くの市民も事態を概観することはできなかった。
しかし、コトここにいたってようやくわれわれは状況を飲み込めたのではないだろうか。

「広島市民球場跡地にサッカースタジアムはつくらせない!」
どうやらこんな呪詛が、広島市民球場跡地にはかけられているようなのだ。

跡地問題を議論しても、サッカースタジアム問題を検討しても、最後はこの呪いが発動されて、いつもサッカースタジアム建設はなし崩しに排除されてきた。

広島市、そして市制に影響力のある組織か個人にとって、物理的にも精神的にも広島市民球場の魂を受け継いだサッカースタジアムの建設は『絶対悪』であり、彼らと利害関係で結ばれた勢力にとってそれはタブーとなっているかのようだ。

一、広島東洋カープが移転したあかきには、市民球場を即刻解体する。
一、その跡地にはサッカースタジアム以外のものを誘致する。

これが“彼ら”のコンセンサスになっているのにちがいない。いまになって事態を再考してみれば、そのことに疑いの余地はないようにおもえる。

前述の市民意見の募集にあたって、すでにその一端は露呈していた。
提案の募集要項のタイトルにそれははっきりと見てとれる。

「現球場の跡地利用に関する提案募集要項」
それがプロジェクトのタイトルだった。

そう「跡地」だ。
使用者が不在となった球場の再活用をこれから議論しようと呼びかけたとき、広島市はすでにその解体を決めていたとうわけだ。
そして球場を「跡地」として刷り込むことで、巧妙にリニューアルという選択肢を排除しようとしていた意図が透けて見える。

ちなみに募集の締め切り前に経過を報じた中国新聞の記事には「広島市民球場の利活用策をめぐる広島市のアイディア募集」とあった。
あえて広島市のタイトルを使わず、「跡地」という制約をはずして報じた姿勢に、メディアの良心が垣間見えるようだ。

しかしその中国新聞の報道も、いつからか「跡地」のおもわくを踏襲するようになった。広島市、というよりも前述の利害関係者の意向を汲んでということなのだろう。
そして同紙は、あっちサイドに寄り添うように市民球場解体へ、そして跡地へのサッカースタジアム建設阻止へと民意をミスリードしていくような報道をつづけてきたようにさえ見える。

そしてその偏向した強引な報道姿勢から、とんでもない“オウンゴール”をしでかすことになる…。

             参考文献/拙著「誰が、市民球場を壊したのか?」(文工舎)
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  解体される広島市民球場を隠すフェンスに映り込んだ原爆ドームの影(撮影/田渕哲也)

誰が、市民球場を壊したのか?

堀 治喜 / 文工舎


by suitonrou3 | 2016-05-03 15:55 | スタジアム&跡地問題