メジャーへの道
ネットニュースでもエンゼルスの赤いユニフォーム姿の大谷選手の記事が頻繁に取り上げられていて、そのたびにカープ関連のニュースかと目をとめたものだったが、いまはさすがにそんな勘違いもなくなった(笑)。
オープン戦では投打にまったくいいところがなかったから、公式戦に入って彼の処遇がどうなるのか気を揉んだが、幸いにもそれは杞憂に終わった。
まるで開幕から逆算して失敗を経験してみたかのように、本番になると人が変わったように好投し巧打者ぶりを発揮している。
現時点での大谷選手の主な成績
投手 2勝1敗 防御率 4.43
打者 打率.339 本塁打4 打点14
才能もさることながら、つくづく彼は野球の神様に愛されているのだと思う。
先日、イチローが登録を抹消されたことで、現役のメジャーリーガーで野手は大谷翔平ひとりになった。
彼の活躍が日本人野手の再評価につながるのかはわからないが、メジャーでのそれが相対的に低くなっていることは否めないだろう。
イチローが海を渡って衝撃的なデビューを飾り、破格の実績を作ったことで日本人野手が評価されるようになった。
それがここ最近はメジャー入りした野手がことごとく沈没したことで右肩下がりになってしまった。
そして、ほとんど地に落ちたような状況の中でイチローが“引退”することになったのは象徴的なことだった。
本来ならば、日本人野手はこれで当面打ち止めだった。
ところがそこに投打の両方で通用する選手があらわれたのだから、メジャーのファンも腰を抜かしたことだろう。
これまでの投打に分けての評価が、まったく意味をなさなくなってしまったのだ。
イチローは大谷選手を評して、「対応能力がある」と絶賛した。
メジャーの野球にアジャストできる才能、あるいはバッターボックスやマウンドでの対応・修正能力が秀でているという。
その能力の有無がメジャーで成功するための大きな要因のひとつであるとすれば、一概に比べることはできないし、彼が二刀流であったということを差し引かなければならないが、国内での成績をみれば投打それぞれに彼に比肩出来る選手、否、彼よりも優れていた選手はいる。
とすれば、大谷選手のメジャーでの活躍は野手の再評価にもつながるのかもしれない。
また国内の選手たちの何人かは、「大谷は別格な存在」だと認めつつも、彼とグラウンドでプレイしての実感として、そこそこ出来るのではないかと希望をつなぎ、夢を膨らませてもいることだろう。
さしずめ、大谷選手とは同期のカープの鈴木誠也選手などは、メジャーの世界がより近く映じるようになっただろうし、身近に感じられるようにもなったはずだ。
まだ少し先の話にはなるが、メジャーへの移籍が選択肢のひとつにのぼるような日もきっと来ることだろう。
このカープからは、黒田博樹と前田健太の両投手がメジャーに移籍し成功をおさめている。
野手ではいまだにメジャー選手は輩出してはいないが、もっとも早い時期にメジャーの可能性があったのが衣笠祥雄氏だった。
1972年にカープは新任の根本陸夫監督のもと、春季日南キャンプを早々に終えて空路アメリカに渡りアリゾナ州のツーソンでのクリーブランド・インディアンスのキャンプに参加。そこで小柄ながらパワーのある衣笠がインディアンス首脳陣の目にとまったのだ。
「あの一塁手をあずけてみないか」
そんなオファーがあったという。
しかし、このときすでに衣笠祥雄はカープになくてはならない主力選手。また今のように日本人メジャー選手が現実的ではなかった時代。
この話は時候挨拶程度に終わってしまったようだ。
もしこのとき衣笠祥雄が米球界に渡っていたらと、いまさらながら想像してみた。
彼のパワーとスピードが、どこまで通用したかはわからない。
しかし、どんな局面でもフルスイングだった彼のスタイルはメジャーにこそ合っていた。
また、プレイのひとつひとつにスタンドのファンが呼応しながらゲームが展開するような環境で、彼のモチベーションはどんどん高まっていっただろう。
その野球の愉しさがスイングに伝わり、その結果がファンに歓びを与える。その循環が彼をさらに豪快なフルスイングへと駆り立てていったにちがいない。
いまメジャーのバッターボックスに衣笠祥雄が立っているのをイメージして、それほどの違和感はない。
たとえばカーショウに、あのスイングで立ち向かっていく姿は案外絵になるではないか。
“衣笠祥雄”という選手像は、意外にも今にフィットしていたのかもしれない。
by suitonrou3
| 2018-05-06 11:33
| 衣笠祥雄氏追悼コラム